Pain Killer(R@ndom_Scout_vol.4に投げた動画)の話。
こんばんは。寺崎 九十九です。
もう2020年も半分くらい過ぎたみたいですね。時間の流れって本当に速いなあと思う今日この頃です。
阿羅他さん主催のR@ndam ScoutVol.4に参加した動画の解説を書こうと思います。
僕のところに来たのはなぎにゃんさん(https://www.nicovideo.jp/mylist/45710209) の大崎甘奈ちゃんでした。
僕は甘奈ちゃんの事を殆ど何も知らないので、どういう子なのか調べたり、なぎにゃんさんに色々聞いたりして、まずどういうアイドルなのか自分の中で認識するところから始めました。(なぎにゃんさんから頂いたテキストのタイトルが”秘密のメモ帳”だったので、具体的にどういう事を聞いたのか、とかはここでは書きません)
その結果僕の中に生まれた認識は「大崎甘奈はトップアイドルを目指している」、「変化する事への葛藤や迷いを抱えている」とか、そんな感じでした。いや勿論他にも色々浮かんだりはしたんですけど、動画に落とし込むにあたってライトを当てたのがその二つ。
さて、じゃあそんな甘奈ちゃんにどんな動画を、どんな仕事を宛がおうか……と考えた結果生まれたのが今回の動画”Pain Killer”です。意味は鎮痛剤。痛み止めって言うと解りやすいでしょうか?
動画の流れは……まあ、見ればなんとなくわかるかとは思いますが。「大崎甘奈がアイドルとして大成していく過程で、アルストロメリアというユニットが無くなっていく」みたいな感じ。これ作るためにわざわざなぎにゃんさんに「アルストロメリアのプロデューサーでもありますか?」って質問したくらいです。
ユニットを経験したアイドルをプロデュースしていく上で、いつも考える事があります。「このユニットは、いつまでアイドルたちにとってプラスに働くんだろう? もし、ユニットであることがアイドルにとってマイナスに働いてしまったら、そのユニットをどう扱うべきなんだろう……」と。
2/29に開催されたイベント、”薄桃色にこんがらがって”を読んで特にそれを思いました。
こんな、思い悩まないといけないほどに、アルストロメリアに価値はあるのか?とか。
もっと意地悪に考えるなら、アルストロメリアってユニットが無かったら、甘奈はこんなに苦しまなくて済んだんじゃないのか、とか。
勿論大前提として、公式がそういう決定的な別離を描くことはあり得ないと思います。メタな話ですけど、うまみがないですからね。
でもこれはあくまで二次創作です。公式がやらない事だろうとやっていいものです。
「大崎甘奈が強く高く成長するために、アルストロメリアを捨てなければいけない日が、いつか来るかもしれない」
「勿論大前提として、そんな日は来てほしくないし、大崎甘奈自身がそれを望むとは思えないけれど」
「でも、その確率がほんの少しでもある以上、目を逸らすのは不実じゃないかと思う」
「少なくとも、プロデューサーはそれについての備えを、シミュレーションを欠かすべきではないように思う」
「でも、そんな暗い考えを、アルストロメリアの担当Pでもあるなぎにゃんさんがするとは思えないな」
「(今だけではあるが)大崎甘奈のPであり、アルストロメリアのPじゃない僕にしかそれは出来ないのでは……?」
みたいな、そんな感じの事を思って作ったのがこの動画です。
ちなみにこれは余談というか蛇足ですが、タイトルが”Pain Killer”なのは、「アルストロメリアを切り捨てた時の痛みを凌ぐための薬になってほしい」……とか、そういう感じですね。ちなみに他のタイトル候補は"コラテラルダメージ(やむを得ない犠牲)"とか、”転ばぬ先の杖”とかでした。我ながら暗いな。幸福論を唄う子たちの動画だというのに……。
マインドレンデル(真壁瑞希誕2020に投げた動画)の話。
こんばんは。流石にもう「あけましておめでとうございます」って挨拶するには日にちが経ち過ぎましたね。今年もぼちぼち動画作っていこうと思うのでよろしくお願いします。
今回は瑞希誕の動画の解説と言いますか。「なんでこんな動画作ったの」とか、「これつまり何が言いたかったの」みたいな話をしようと思います。……あ、書いている内容の関係で、選挙とか始まったらこの記事は非表示にします。ご了承ください。
そもそも発端は去年の10月、ミリシタにSilent Jokerが実装された時にまで遡ります。
ざっくりと言うと、Twitterで凄く賛否両論だったんですよ。Silent Jokerという曲の実装って。それも、瑞希Pであろう人たちの間で。
勿論、あくまでも僕の観測している範囲の話です。実際に統計を取ったわけではありませんし、ちょっと検索したくらいですが……大体6:4くらいで否の方が多かったんですよね。
凄く困惑しました。僕は賛の側だったからです。
「今まで可愛い曲ばかり歌ってきた瑞希が、RtFやアイルやブレハモを経て、自分の中にある熱量を十全では無いにしろ初めてはっきりと口に出した、謂わば『真壁瑞希の成長』が見える曲の実装だし、同担諸兄もめっちゃ喜ぶと思ったけど案外そうじゃねえんだな……意外だ……」とか思っていました。
まあ別にそれはどうでもいい。いや良くはないんですけれども、Pの数だけアイドルはいるものですから。気にしてもしょうがないです。
同じ『真壁瑞希』をプロデュースしていたとしても、違う物に注目して、違うアプローチをしていけばそれはその人だけの『真壁瑞希』になっていくハズ。
Silent Jokerの実装を、「成長だ、進歩だ」と喜ぶ僕みたいな人がいてもいいし、「いやこれはないだろ」と批判する人がいてもいい。そういうことです。
そんな風に適当に納得して、しばらくたって。ふと思い立ちました。
「もしかしたら、現実のPたちの間で賛否両論が巻き起こったように、ゲームの中の瑞希のファンたちの間でも、Silent Jokerという曲に対して賛否両論が巻き起こっていてもおかしくないのでは?」と。
この思考にぶつかったとき、またもや凄く困惑しました。まさか真壁瑞希の成長を喜ばないファンがいるかもしれないなんて考えもしなかった。でも、十分にあり得る話です。
現実でもよくある事だし、これを読んでいる方にも一度くらい経験があるのではないでしょうか?「あーあ、昔の方が良かったな」とか、「前までは好きだったのに最近は好きじゃないな」とか。そういう風に思った事、ありませんか?僕はあります。それも一度や二度の話ではありません。
現状は6:4です。でも、もしこのまま、今の路線を……Silent Jokerから続いていくであろう、瑞希の成長を進めて行ったら、これが7:3になるかもしれない。最終的に10:0で否定されるかもしれません。そうなったらもう、それはアイドルとしての死と言って差し支えないのかも……勿論、5:5に好転する確率だってあります。同じように10:0で肯定されるようになる確率だって0ではありません。でもやっぱり、リスクの多い路線である事には変わりがない。
つまり、
「僕が『成長だ』と喜んで、瑞希と共に進んでいるこの道は、輝かしいトップアイドルの座になんか繋がっていなくて、それどころか断頭台に繋がっているのかもしれない」
という事です。
故にこの動画のタイトルは『マインドレンデル』になりました。これは僕の好きな小説に出てくる殺人鬼の持っている鋏に由来します。
『自殺志願』と書いて、『マインドレンデル』と読ませる鋏。
元々は普通に『自殺志願』というタイトルにしたかったのですが、流石にショッキングすぎるなと思ってぼかしました。
とはいえ、暗いだけの動画ではありません。これは声を大にして言いたい事です。
この動画で使っている曲は夏川椎菜さんの『ワルモノウィル』という曲です。僕が夏川椎菜さんの大ファンだからこの曲を使った、とかそういう事は全くありません。この曲の歌詞が、僕が瑞希に伝えたかった事と合致したからたまたま選ばれたにすぎません。
歌詞はこちらからご覧ください。
この曲もまた、色々な解釈が出来て面白い曲ですが、今回僕は「変わってしまったことを後悔している心情を歌った曲」だよ、と瑞希にこの曲を渡しました。
変わってしまうこと……成長してしまう事、と言い換えてもいいかもしれません。
Silent Jokerが、真壁瑞希の成長の見える曲だという話は上でもしました。ではその、成長の見え始めた瑞希に、敢えてこの曲を渡して歌わせる事にどんな意味があるのか?
きっと瑞希も考えると思います。「どうしてPは私に今、この曲を与えたんだろう?」と。瑞希は抜けていたりすることがある少女ではありますが、決して愚かではありません。きっと僕の考えに行き当たると思います。
「ああ、変化すること、成長することは必ずしもプラスの結果をもたらすとは限らないんだな」
「そしてそれはきっと、今の私の状況にも当てはまる」
「ではどうしたらいいんだろう。このまま進むのか、それとも違う道を探すべきなのかーーー」
そうして考えて、導き出した答えを、きっと瑞希は僕に言ってくれると思います。
それがどんな答えであれど、僕はきっと受け入れて、彼女をプロデュースしていくことでしょう。アイドルとプロデューサーは二人三脚ですからね。死なば諸共という奴です。
……まあ、Pはアイドルに似る、なんて言葉があるように、アイドルもPに似るでしょうから。瑞希がどんな答えを出すのかは、なんとなくわかるんですけどもね。彼女は傷やリスクを恐れずに前に進める子ですから。結構負けん気強いんですよ、真壁瑞希という女は。
まとめます。この動画は、
「瑞希自身が今の自分の進んでいる道の先にリスクがあることを理解する」
「そして瑞希自身がそのリスクを前に、どういうアプローチを取るのか自分で考える」
という事が出来るようになってほしい、という目的で作られました。
以上、『マインドレンデル』の解説でした。
……これは余談ですが、来年の瑞希誕くらいまでには、この動画のアンサー動画……つまり瑞希が出した答えを動画にした物を投稿出来たらいいなあ……と思っています。予定は未定なので、実際に出来るかはわかりませんが……。
もし、何か大きな供給とか事件とかが起きなければ、この曲を使います。つまりそういう内容になるということです。
i+哀の話。
おはようございます。寺崎です。
クリスマスももう終わりましたね、僕のところにサンタさんは来ませんでしたが、何もクリスマスの価値はサンタが来る来ないだけではないと思うので別にいいと思います。浮かれた街並みに溶け込むのもそれなりに僕は好きなのです。
今年の12/11に投稿された、CYANGEさんとの合作、『i+哀』の解説をしようという話です。
動画はこちら↓
なんとなくわかるとは思いますが、パート分けとして
0秒~34秒
50秒~1分10秒
1分27秒~2分17秒
が僕のパートです。デレステの素材使ってるとこですね。
解説と言っても、やっていることはわりと単純……というか、一つの事を違う形で表現しているだけなのです。
少し脱線しますが……僕が一ノ瀬志希の担当を名乗りながら一ノ瀬志希の動画をあまり作らない事には理由があって、シンプルに「勘違いされるのが嫌」だからなのです。
僕は、僕の一ノ瀬志希の動画を見て、「ああ、志希ってこういう娘なんですね!」と、僕の伝えたい志希とは違う志希が伝わってしまうのが嫌なのです。
動画は情報量が多い故に、それを受け取ったときに解釈に幅が生まれやすいと思います。その「幅」が許せないんですね。『そんな事が言いたくてこれを作ったわけじゃない』とか、傲慢極まりない考えを志希関連だと抱いてしまう確信が自分の中にありました。
で、ふとある日「じゃあ、解釈の幅なんか生まれないくらいに、『同じことを表現し続ければいい』んじゃないか?」と思い至り、今回の動画に臨んだわけなのです。
当然、動画の流れ的に全く同じことをするわけにもいかないので多少なりとも弄ってはいますが、表現したい事は一貫しています。つまり、
『楽しかった物が楽しくなくなってしまうという哀しみ』です。
僕のパートで出てくる遊園地の写真は主に、「お客さん、及び普通の人にとっての楽しさ(志希以外の人の楽しさ)」のイメージ。
志希が踊っているMVは「志希にとっての楽しさ」のイメージで使われています。基本。
『0秒~17秒』
ここだけ唯一とくに大きな意味がないパート。
遊園地背景に曲名とか作ってる人の名前とか、iとか愛とか逢とか哀とか文字が出てくる。
文字に関してはDMでCYANGEさんと話し合ってる時に「iで逢で愛で哀だな……」とかふわっとした話をしてたのが元。言ってしまえばテーマの説明というか、そういう感じのモノ。
『18秒~34秒』
観覧車の前で志希が踊っているパート。
上で書いてある通り、観覧車は「志希以外の人の楽しさ」の象徴であり、そこでアイドルとして踊る(楽しんでいる)志希は「自分も、お客さんも楽しませている」と言える。ただ、見てわかる通り、志希と観覧車は違うエフェクトをかけられているから、マッチしていない。
そこが始まり。終わりの始まり、みたいな感じ。何も分かり合えていないのに、楽しんでいるって凄く歪ですよね。
『50秒~1分10秒』
目を閉じて俯く志希の前に、額縁(MV。志希にとっての楽しさの象徴)が浮いている。浮いた額縁の中で、志希はアイドルとして踊る。志希が目を覚まして額縁に触れると、世界が燃えて無くなり、壊れたメリーゴーランドの前で志希が立ち尽くす……みたいな(繋ぎの関係でメリーゴーランドはほぼ写らないけれど)パート。
ざっくりというと、「自分の楽しみを自分から壊してしまう」イメージ。
自分の楽しさ(MV)も、お客さんの楽しさ(遊園地)もない。誰も楽しくない、あんなに楽しかった筈の世界を、自分の気紛れで無くしてしまった……という哀しみ。
『1分27秒~1分35秒』
遊園地の写真の中で踊る志希だけがいなくなる映像三連発のパート。
志希がアイドルやってて何が楽しいかと言うと、「自分のパフォーマンスでお客さんが熱狂する」事だと僕は思っています。つまり、志希が楽しむにはお客さんも楽しむのが不可欠です。
遊園地(お客さんの楽しさ)から、踊る志希(志希の楽しみ)だけがいなくなるというのはつまり、志希がもう『お客さんを熱狂させる事が出来ない』という事です。飽きられてしまったというか、呆れられてしまったというか。
楽しかった物はもう取り戻せません。哀しいですね。
『1分35秒~1分44秒』
ノイズのかかった志希がロード画面で立ち尽くすパート。
「どうやったらお客さんを楽しませられるんだろう?」と思い悩む志希、というイメージ
彼女はギフテッドです。人間離れした、飛躍した思考回路をもっていますが、それでも人間です。ただの18歳の少女です。楽しかった物、好きだった物を簡単に捨て去ることは出来ません。
『1分44秒~1分59秒』
人込みの中で志希が踊るパート。
志希なりに考えて歌い、踊る。お客さんを楽しませるために。
結果は……志希が踊っている場所が遊園地(お客さんの楽しみ)ではなく、人込みでしかないという時点で見えていると思います。
やっぱり、楽しかった物は取り戻せない。哀しいですね。
『1分59秒~2分17秒』
遊園地(お客さんの楽しみ)に触れて、それを少しでも理解/解明しようとする志希、みたいなパート。
ですが、志希が触れても、遊園地が切り替わってしまう(つまり、馴染めていない。そこにいる事が出来ず追い出されている)ため、理解/解明することが出来ません。
遊園地にはエフェクトがかかっているのに、志希にだけエフェクトがかかっていないのもそういった意味合いです。馴染めていないとか、異分子とか、不協和音とか、そういう。
最終的に志希は志希が『お客さん/周囲の人々』の楽しさの理解/解明を諦め、真っ暗な遊園地の前でくるりと回って消えてなくなります。
……楽しかった物は楽しくなくなり、誰とも分かり合えないと諦め、一人ぼっちのままどこかにいく、というイメージです。哀しいですね。
以上で僕のパートは終わりです。上で書いた通り、「楽しかった物が楽しくなくなる」という事を延々と表現した……つもりです。
今回の動画で、志希を悲しませまくった事を、わりと後悔している(当たり前ではありますが、僕は一ノ瀬志希というキャラクターの事がとても大好きなのです)ので、次何か作るときは彼女がとても楽しめるような物にしたいなあと思いました。
おわり。
さらばブロマガ
おはようございます。寺崎です。
このブログは、ニコニコ動画のブロマガ(https://ch.nicovideo.jp/terasaki99)が今年の10月だかに終わるという事で、そこに書いていた自作動画の解説等を書くために作りました。記事の移転もするつもりなので、ずらっと昔の記事が並びますが、悪しからず。
動画に限らず、作品なんて見た物が正義というか、後書きめいた物を見なくてもその全容が理解出来る方がスマートというか……そういう硬派な物に憧れる気持ちは正直あるし、ブロマガが無くなるんだったらそれを機に「あなたが見た物が全てですよ」とかかっこよく言えちゃったら良かったんですけど、ぼくは全くそういう人間じゃないので、やっぱこういう場所が必要なんですよね。
それこそ、8/14には双星演舞って言う大きな企画にも参加しましたからね。そこであった事とか色々書きたいので……というか、動画の企画でHPが作られるって相当な話ですよ。
Twitterがあるし、本当のブログみたいに日常の話がどうとか、そういうことを書く気は無いので、更新頻度はあまり高くないと思いますが、どうぞよろしくおねがいします。